1965年4月28日、21時過ぎ・・・私はカリブ海上空を飛ぶヴァリグ航空の乗客の一員だった。皿洗いをしながらでもラテン音楽の本場で歌ってみたいというのが、プロの歌手になってからの私の望みであったが、それが皿洗いどころか、間もなく到着するベネズエラのカラカス空港では、私のために大勢の報道関係者が今や遅しと待ちかまえているはずなのである。この機会をもたらしてくれたのは「コーヒー・ルンバ」で知られるベネズエラのスターで前年、つまり東京オリンピックの年に来日したエディス・サルセードである。

一九六五年四月三十日。この日「エル・ショウ・デ・レニー」のスタジオ・セットは日本一色。人間の一生にあって、幸運の女神はそうたびたび微笑みかけてはくれないが、今まで私の生きてきた二十余年間で、このカラカス滞在中ほど微笑みかけてくれたことは他にない。それは微笑みと言うより、まさにバカ笑いと言うべき感じだった。

一九六五年五月二十六日。 有頂天になっていた私に、突然のアクシデントがやって来た。余勢をかって、次の公演地への夢に胸ふくらませていたところへ、四日後の予定地コロンビアが政情不安に陥り、当分興行活動が出来ないという 外国では、契約書という紙切一枚が絶対的なもので、日本のように口約束で仕事をすることは稀である。