一九六五年四月三十日。この日「エル・ショウ・デ・レニー」のスタジオ・セットは日本一色。人間の一生にあって、幸運の女神はそうたびたび微笑みかけてはくれないが、今まで私の生きてきた二十余年間で、このカラカス滞在中ほど微笑みかけてくれたことは他にない。それは微笑みと言うより、まさにバカ笑いと言うべき感じだった。

他人の不幸を喜ぶわけではないが、他のゲストたちの思わぬハプニングが、私の立場を有利にする結果になった。

その中でもメイン・ゲストだったイタリアの人気歌手リタ・パボーネが、番組の中で彼女の出演するところだけ彼女専属の司会者を使うと言いはったのに対しレニー・オトリーナは

「これは私の番組だから、だめ」と、けんもほろろに断ったことから、心証を害したこの大スターは、高いキャンセル料を払って帰国してしまった、と聞かされた。その分だけ私の出演料時分はたっぷりもらえ、テレビやラジオのスポットも“ヨシロー”の名が前日より大きく扱われる。リハーサルの時分もたっぷりだった。

私の出演料部分は、まずエディス・サルセードとそのコンフント、ロス・コロラミーコスが、日本庭園風景をバックに「コーヒー・ルンバ」を日本語で歌うところから始まる。そして彼女が

「私が昨年日本行った時、私たちと同じようにトロピカルの味をもってスペイン語で歌う一日本人と共演しました。彼をぜひベネズエラの皆さんにご紹介したくて、今夜この番組につれてまいりました・・・・・・」

といった内容をしゃべり、私の「サヨナラ」「スキヤキ(上を向いて歩こう)」に入る。鳥居のうしろ、お宮の階段らしきものを下りながら歌い始めるのは、日本人の私にとって異国臭ぷんぷんで照れくさいが、まあ我慢する。

すべてが、“東洋調エキゾチシズム”である。笑いがとまらなかったのは、「サヨナラ」が終わり、すぐ「スキヤキ」イントロに入るところで着物の早変りがあるのだが、その手助けをしてくれる六人のダンサーだ。芸者の扮装のつもりだが山本寛斎発表するパリーム向け和風イブニングもどき、髪は東南アジアの相撲とりもかくや、珍奇な歩き方にチャイニーズスタイルの扇子の持ち歩き方、その扇子には私が読めもせぬ漢字が書かれ、カメラがその字を大写しにする。知らぬ他国のことをしたのだし、気分を害さぬ程度にクレームをつけた。

早変りもうまくは行かない。「スキヤキ」のイントロは十秒ぐらい、画面に写ったままダンサーたちは、踊りながらさり気なく私の衣裳に早変りするのだが、こんなところに慣れているはずもない彼女たち、あわててしまって、まるでサマにならない。しかし六人とも大まじめだ。

やっとのことでこの二曲が終わったところで、ホストのレニーがサルセードに

「あなたはウソつきだね。ヨシローはスペイン語で歌わないじゃないか」

「あら、見ててごらんなさい」

と、エディスが受ける。そして私の、いや、おそらく世界でも前代未聞の「グラナダ」に入るのだ。